「Higher Self」とはアートマンのことです。それは、物質化できないものであり、どんな場合でも、最高の霊的知覚にとってさえも客観的ではありません。なぜなら、アートマン(Higher Self)はまさに、ブラフマン(宇宙の根本原理)すなわち絶対者で、それとは全く違いがないからです。サマーディ(三昧、ヨガにおける瞑想の最高の段階)の時にイニシエートの高級な霊的意識は全くその一つの本質に吸収され、全体と一体となるのです。その意識にとって客観的なものは何もあり得ません。ある神智学徒はセルフ(我)とエゴ(自我)という言葉を同義語として使い、セルフという言葉を人間の高級個性または人格的自我とさえも結びつける習慣があります。けれどもセルフという言葉は唯一の普遍的な我以外に当てはめるべきではありません。そこから混乱が起きるのです。マナスすなわちコーザル体について言えば、ブッディの光輝と結びつけば「ハイヤーエゴ(高級自我)とは言えますが、「Higher Self(高級我)」とは呼べません。なぜなら、ブッディすなわち霊的魂でさえセルフ(我)ではなく、「我」の媒体にしかすぎないからです。低級な「我」について話したいと思ったら、必ず「個性我」や「人格我」というようにそれを性格づけ、特徴を表す言葉をつけなければなりません。
例えば、ある神智学徒がHigher Selfについて説明する際に、Higher Selfという言葉を人間の第六本質すなわちブッディに適用しています。それは、マナスと結合したブッディです。そうした結合がなければ霊的魂の中には考える本質はあり得ないからです。しかし、そのような意味でHigher Selfという言葉を使うことが誤解を起こしたのです。
以後、このような誤解を避けるため、東洋のオカルト用語を文字通り英語にして使って行きたいと思います。Higher Self(高級我)とは、アートマンすなわち普遍的で唯一なる我の分離できない光線です。これは我々の内なる神というよりも、上なる神です。自分の内なる自我を高級我で満たすことに成功する者は幸いです!
⒜ Spiritual Divine Ego(霊的神聖自我)
心の本質であるマナスと密接に結合した霊的魂、すなわちブッディのことです。マナスとの結びつきなくしてブッディは自我でありえませし、それは単にアートマンの媒体にしかすぎません。
⒝ Higher Ego(内なる自我すなわち高級自我)
ブッディとは無関係のマナス、すなわち人間の第五本質である。マインドの本質はブッディと一体になった時のみ霊的自我となります。唯物論者はどんなに知的能力があっても、このような霊的自我はないと考えています。高級自我、永続的個性、輪廻する自我です。
⒞ Lower Ego(低級自我、人格自我)
動物的本能、情欲、欲望などの低級我と結びついている肉体人間のことです。これは「仮の人格」と呼ばれ、肉体及び肉体の幽体または複体を通して活動しているカーマ・ルーパと結合した低級マナスで出来ています。
あとの本質「プラーナ」すなわち生気は、厳密に言えば普遍的生命と唯一なる我としてのアートマンの放射している力、またはエネルギーである。プラーナはアートマンの低級な面、あるいは、顕現しているので、むしろ事実上もっと物質的な結果を生じるアートマンの局面です。プラーナは客観的宇宙にあまねく浸透しており、また、生きている人間に絶対に必要な要素なので、一応一つの「本質」と言われているのです。
H・P・ブラヴァツキー 『神智学の鍵』より