神智学の教え

この文章はブラヴァツキー著『神智学の鍵』をもとに編集しています。


 

神智学とは何か?

  神智学は宗教ですか?

 神智学は宗教ではありません。神聖な知識または神聖な科学です。

  神智学という言葉の本当の意味は何ですか?

 「神聖な智慧」、テオソフィア(Theosophia)すなわち神々の智慧です。テオス(Theos)という言葉はギリシア語で神という意味ですが、神聖な存在のことであって、普通私達が言っているような意味での「神」ではありません。ですからある人が翻訳しているように「神の智慧」ではなく、神々が持っているような神聖な智慧のことです。神智学という言葉は何千年も昔からありました。

  その名前の由来はなんですか?

 アレクサンドリアの哲学者の中で 、真理愛好者と言われているフィラレーテイアン派(Philaletheian)から来ています。フィル(phil)は愛すること、アレーテイア(aletheia)は真理という意味です。神智学という名称は三世紀に折衷神智学を創始した、アンモニオ・サッカスとその弟子達(*)から始まったものです。

* 新プラトン主義の創設者プロティノスやキリスト教教父のオリゲネスなどがいる。

 

神智学協会の目的

  神智学協会の目的は何ですか?

 協会には当初から三つの目的がありました。

  1. 人種、肌の色、宗教の差別をせず、人類の普遍的同胞団の核を作ること。
  2. アーリア人および他の民族の聖典の研究、世界の宗教および科学の研究を増進すること。また、古代アジアの文献、すなわちバラモン、仏教、ゾロアスターの哲学の重要性を証明すること。
  3. あらゆる面で自然の秘められている神秘を探求すること。特に人間に潜在するサイキックおよび霊的な能力を研究すること。

 大まかに言えば、これが神智学の三主要目的です。
 しかし、いちばん大事な目的は、精神的、肉体的、あらゆる形の人間の苦しみを取り除くことです。そして私達は、肉体の苦痛を取り除くよりも、精神的な苦痛を取り除くほうがずつと大切だと思っています。神智学は倫理を教え込まなければなりません。もしも肉体の苦痛を減らしたいなら、魂を浄化しなければなりません。事故の場合を除き、肉体の病気はすべて遺伝的なものです。利己的な目的や個人的野心、高慢、虚栄のためにオカルティズムを学んでも、決してまことのゴールに達することはできません。つまり、苦しむ人類を助けることはできません。

 

神智学と心霊主義(スピリチュアリズム)との違い

  心霊主義を信じますか?

 何か普通でない現象を見せることを心霊主義と言われるなら、私達は心霊主義を全く信じません。心霊主義者達は、こうした現象はみな死んだ人達(特に自分達の親類)の「霊」が行うもので、この「霊達」は自分が愛した人達に連絡するためにこの世に戻るのだと言います。私達はこの点をきっぱり否定します。死者の霊は滅多にしか起こらない例外的な場合以外は、この世に戻ることはできないと私達は主張します。また、全く主観的な方法による以外は、霊は人間と通信することもありません。客観的に見えるものは死者の脱け殻、魂殻でしかありません。しかし、サイキック的な心霊主義や、いわば「霊的」な心霊主義は固く信じます。

  しかし、「霊達」から受けたメッセージの多くは知能のあることを示しているだけではなく、霊媒の知らない事実や、時には研究者や傍聴者の考えもしないことを知っていることさえあります。

 知能や知識があるからと言って、必ずしもそのメッセージは「霊」のものであり、肉体を持たぬ魂から発せられるものだとは限りません。ある夢遊病者達は、音楽や数学を習ったことがないのに、トランス状態の間に作曲したり、詩を作ったり、数学の問題を解いたりした例があります。ある人は目が覚めている時には全く知らないヘブライ語やラテン語のような言葉で出された問題にちゃんと答えたり、その言葉を話した例さえいくつかあります。このようなことはみな熟睡状態で行われます。

  あなたはどう説明なさるのですか?

 私達は次のように断言します。つまり、人間の中の神聖な火花は宇宙大霊と本質的に同一なので、私達の「霊的我」はほとんど全知です。しかし、物質という妨害物のためにその知識を現すことができません。そこでこの妨害物が除かれれば除かれるほど、他の言葉で言えば、肉体が無力になればなるほど、内なる我がこの世界に十分に現れることができるようになるのです。肉体が無力になるというのは、熟睡や深いトランス、または病気の場合のように、肉体自体の活動と意識がなくなることです。これが否定しがたい、知性や知識が示される高級な種類の、本当にすばらしい現象についての私達神智学者の説明です。

 

神について

  あなたは神を信じていらっしゃいますか?

 それはあなたのおっしゃる「神」の意味によります。

  キリスト教の神、イエスの父で創造主のこと、つまりモーセが聖書で言っている神のことです。

 そのような神を私達は信じません。人間の巨大な影にしかすぎず、おまけに、あまりよくない人間の影である人格神や、人間と同形の超宇宙的な神の概念には、私達は反対します。神学の神には数え切れぬ矛盾と、論理的に不可能な所があると私達は主張し、それを証明します。ですから、私達はそのような神とは関係はありません。

  その理由をお聞かせください。

 多くの問題がありますので、すべて取り上げるわけにはいきませんが、少しだけお答えしましょう。キリスト教信者達は自分達の神を、無限、絶対であると言っていませんか?

  そうだと思います。

 ではもし、無限で、特に絶対的であるならば、どうして神が形体を持ち、ものの創造主であり得ましょうか? 形体には制限があり、当然、始まりも終わりもあります。創造するためには、神は考えたり計画したりしなければなりません。絶対なる者が考えるということが、どうしてあり得ましょうか。また、限定され、有限で条件付けられているものに、絶対者はどんな関係がもてるというのでしょうか? 活動しない永遠の本質がどうして発散することができるでしょうか? ヴェーダーンタのパラブラフマン(絶対者)はこのようなことは何もしません。新しい周期の始まりに、常に隠されており、理解できない一つの本質から活動力、創造力(ロゴス)を発散させるのは、永遠で周期的な法則です。

  あなたは無神論者ですか?

 私達の知る所ではそうではありません。ただ、神人同形の神を信じないという意味では、無神論者です。私達は普遍的な本質、万物の聖なる根源を信じます。すなわちそこからあらゆるものが出て行き、存在の大周期の終わりにすべてのものが吸収される大起源を信じます。

  ではあなたにとっての神とは何でしょうか?

 私達の神は永遠で絶えず進化をしていますが、創造しない宇宙の建設者です。宇宙自体は自身のエッセンスから展開しているのであって、創られたのではありません。象徴的に言えば、私達の神は円周のない球体であって、存在しているあらゆるもの、すなわち考えることのできるすべての属性を包括する一つの絶えず活動している属性をもっているもので、それ自身です。つまり、目に見える宇宙、目に見えない宇宙のあらゆる原子の中のどこにも居られ、目に見えぬあらゆる原子、分割できるあらゆる分子の中に、上に、周りにおられます。

 


さらに詳しく学びたい方は、ブラヴァツキー著『神智学の鍵』をお読みください。

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